2013/05/30

「返信」の「返信」が、コミュニケーション能力育成の震源地!

 

 講師稼業(と言えるほどの活動もしていないが)には切っても切れない発端がある。それは講師依頼というキッカケである。初発は電話での依頼が多いが、懇意になっている関係があればメールでの依頼も最近は多くなっている。どの手段でも構わない。依頼の内容と目的が明確であり、且つ小生が対応できそうな業務であればお断りする理由も無い。

 6月は年間の中で(学校の2学期制になってから)最も忙しい時期になる。今年も14日間も県外に出講することになっている。こんな老輩に未だに訪問要請があることを慶ぶべきであろうか?自問してみるが結局答えは出てこないまま出講する(笑)。

 最近、頓に感じることがある。

 依頼(発信)に対して受諾の回答する(返信)。この返信への返信が届くことが実に珍しい。つまり、依頼した講師が請けてくれたことで任務の一つは完了したと勘違いするのであろう。返信に返信をして関係を断たないのはラブレターしかないらしい。つまり人情として断ち切ることが不安な場合としてのみ「返信の返信」が繰り返されるらしい。

 当方(請負業)はそうではない。

 今回の出講に関しての「担当者交替」のメールが届いた。交替した担当者にしては初めての発信である。問い合わせの事項も添付されていた。講師の小生は、検討して、電車の時刻を調べてその回答を返信した。回答に納得がいけば任務は解放される。最近の交信は発信に返信して終止符が打たれてしまう。しかし、今回は違った。数行の返信文ではあるが、「返信への返信」が届いたのである。老輩の衰え始めている脳にも喝が入った。

 忘れてはいけない交信マナーは「挨拶をする」ことではないか!

 返信に返信をする深意は心からの「感謝と歓迎」意を伝える挨拶事である。受け取ったサイドだけが分かれば、相手にはそれを伝える必要性を感じないのが現代であるようだ。コミュニケーションの震源地に異変が起きていないか!?便利なコミュニケーションツールとしての機器が、やっぱり機器で終わってしまうのは使用者の人間関係調整能力の欠如としか言えまい!!

 以下に稀有な交信状況を添付する。コミュニケーション能力の育成に関わる親や指導者(震源地)には小生の真意を汲み取っていただきたい。震源地からの揺さぶりが多方面にその波動が及ぶのである。省かれそうなこの指導論・育成論の基礎・基本を蘇らせたいモノである。
 

  ≪発信(依頼)≫
   角田明先生  (前略)・・・・昨年度に引き続いてのご来訪誠にありがとうございます。今回先生とのご連絡・送迎等を担当させていただきます。よろしくお願いいたします。一点 お知らせください。6/12ご到着の日ですがご利用の新幹線が決まりましたら名古屋駅到着時刻をご連絡ください。前回教頭が迎えに行った際の待合へ参ります。以下に大まかな日程をお示します。ご不明な点等ありましたらご連絡いただけますと助かります。(後略)・・・・・・5/29(水)10:17  

  ≪返信(回答)≫ 5/29 10:49 (名古屋駅到着予定時刻の回答) 

  ≪返信(挨拶)≫
 角田明先生  早速のご返事ありがとうございました。新幹線到着時刻承知いたしました。612日にお会いできるのを楽しみにしております。

(●●中学校 ▽▽▲▲) 5/29 13:22 

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自己紹介

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1944年熊本県八代市生まれ。1968年から神奈川県内の高校、中学校の英語教員として勤務。1988年より神奈川県茅ヶ崎市で指導主事、教育研究所長、中学校教頭、指導課長、小学校校長、指導担当参事を務める。1996年8月ちがさき教育実践ゼミナール『響の会』(現・教育実践『響の会』))を開設し、教員の自主研修会として活動を主宰。 2001年に新設開校の茅ヶ崎市立緑が浜小学校・初代校長着任。 2004年3月退職後は「教育実践・響の会」会長として全国で講演活動中。『響の会』は茅ヶ崎市・浜松市・広島市・東京都立川市に開設。2006年9月より2011年8月まで、日本公文教育研究会子育て支援センター顧問として全国で指導助言に務める。著書に 『あせらない あわてない あきらめない』(教育出版)、『人は人によりて人になる』(MOKU出版)、『小学校英語活動教本JUNIOR COLUMBUS』(光村図書出版)がある。その他月刊誌等の執筆原稿や共同執筆書も多数あり。近刊は、2012年10月発行予定(『校長先生が困ったとき開く本』教育開発研究所)。

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